忘れたくないから日記を書く

ジャニーズ初心者のブログ

VS.わたし 2018〜2019

 

2018.8.31 フェスティバルホール

マイクの打点がいつもの倍の高さだ。そう気づいた瞬間に、今回はいわゆる神回だと確信した。

コンサートは進む。私の現場回数としては、8/31時点で Love Battle Tour は確か5公演目。正直なところ初見時のドキドキや興奮の段階は既に終えており、このコンサートをいつまでも憶えていられるように記憶する段階。この段階になるとどうしても初日の興奮度には追いつかないものだ。それは少し寂しいけれど、人間だから仕方がないだろう。しかし今日はいわゆる神回。初見時のドキドキとはまた別物だが、これはとんでもない回だという確信から胸がざわざわした。今日、塚ちゃん、めちゃくちゃ調子が良い。

塚ちゃんが曲中ハンドマイクを投げる所作は、他担にはあまり気づかれていないようだった。少なくとも私の周りでは「次は絶対に見てください!!!!!!!(激おこぷんぷんなんとかドリーム)」とギャンスカ騒がないと気付いてもらえなかった。見てもらいさえすれば「あれは格好良い!」と褒めてもらえるのだが、基本的には気付いてもらえていなかった。まあそりゃそうか。タイミングはほんの一瞬。見せ場でも何でもない箇所で行う。そうこれは塚ちゃんと塚田担しか知らない僕と君とのパスワード。

 

近隣のお立ち台にやって来た。嘘だ。そんな訳ない。だって私の近くに塚ちゃんは来ないもの。べつに嫌われてる訳じゃない。というか一人の人間として認識されてないから嫌われようがない。ただ単に運が悪いから。塚ちゃんは私の近くな来ない。私の近くに塚ちゃんが来るはずがないんだ。なんでだよ。あなたはいつも逆サイドに行くじゃないか。ということは、あれは塚ちゃんじゃないのか?じゃああの人は誰?いやいや現実逃避はやめよう。どう見ても塚ちゃんだ。だって首筋が汗でキラキラしているもの。現実逃避するために入ったコンサートで更に現実逃避するなんておかしな話だな。ここは怖ろしい場所だ。塚ちゃん、とても好きだよ。あなたは実在してるんだね。この眼に映るあなたは間違いなく立体だ。映像や写真で何度も見た存在が立体としてそこにある。どうしてだろう、音が聞こえない。耳には入っているけど理解ができない。なんの曲なのかわからない。コンサートなのに世界から音が消えた。とても静かだ。

というか、なんでよりによって今日。今日のあなたは一段と素敵。今日は常にトップギア。ものすごく調子がいい。張り詰めた空気を全て自分のものにしている。世界を支配している。なかなか途切れない集中力。多少ふわっとしても、すぐに持ち直す。こうなるともう目が離せない。いまこの瞬間においては、間違いなく世界で一番あなたのことが好きだよ。いまこの瞬間あなたは世界一の存在だ。どうしたらいいんだろう。そんな世界一のあなたがまさか手を伸ばしたら届きそうな気がするくらい近くに来るなんて。

 

特に何をした訳じゃないし、何があった訳でもない。目が合った。偶然、視線と視線が交わった。それだけ。本当にそれだけ。好きという魔法は恐ろしいもので、たったそれだけのことなのに髪の毛が逆立つように全身がビリビリして呼吸が浅くなりペンライトを持つ手はワナワナ震えリズムを刻むことができなくなった。今にも倒れそうになりながらそれでも立たなければと踏ん張った。たったそれだけのことなのに、びっくりするほど嬉しかった。果たしてこんなに感情を昂らせることを彼らアイドルは望んでいるのだろうかと一瞬我に返りかけたが、そんなことはどうでもいい。私は嬉しかったんだ。その価値を決めるのは私だ。誰かに口出しなんかさせるものか。私は嬉しかったんだ。とても。

 

 

 

 

 

2018.9.1 フェスティバルホール

3階からトリプルラッキーで1階のお立ち台にあがる橋本良亮くんを見つめた。ああなんて可愛いんだ。ニコニコはっしーちゃんは世界一かわいいよ。スポットライトじゃない、内側から発光してる。なんて綺麗な人なんだろう。世界の中心は間違いなく君だよ。整った顔も長い手足も全部全部、神様が愛情込めて作った一級の特注品だ。足の先から髪の毛の一本に至るまでとてつもなく格好良いのに、どうして胸が締め付けられるくらい可愛いんだろう。世界中の人はみんな君のことが大好きだから安心してお眠り。なんて無責任極まりないドロドロに甘々な言葉で包みたくなる。この人は特別なんだ。何が何でも輝いていなければいけないんだ。代わりに私が悪魔と契約して、世界の半分を君にあげよう。なあんてね。

周りのファンの人もとても嬉しそう。ファンの観察なんて悪趣味だな。これが担当じゃない余裕ってやつか。ああ、ちょっと待って、よく見たら、あそこにも、そっちにも、昨日の私がいる。私だ。あれは昨日の私だ。楽しそうな渦の中には似つかわしくない表情で異様なオーラを放つ真顔でひきつって動けない人たち。分かる。気持ち、すごく分かるよ。あなたたちは昨日の私だ。ひょっとしたら嬉しそうに手を振りながらファンサ団扇を掲げるあの子たちより顔面蒼白でひきつる彼女たちの方が橋本良亮くんへの愛情は深く重いのかもしれない。愛の総量なんて計れないけれど、その可能性は大いにある。ほら、あの人なんか真っ赤なワンピースを着て橋本団扇を胸に掲げてるじゃないか。間違いなく彼女は橋本良亮くんを愛している。なのにその愛ゆえに今にも殺されそうな強張った表情しか出来ない。「分かる」なんて簡単に言われたくないだろうけど、あなたが橋本良亮くんのことがすごく好きなんだなって分かるよ。

 

冷静に、客観的に、「損だな」と思った。気持ちは痛いくらい分かるけれどやっぱり今にも死にそうな視線を向けられるのは怖い。向けられてない私ですら怖いんだもの。やはり笑顔を向けられる方が気持ちいい。ああ、そうだ、分かっていた。そんなことは分かっていたんだ。出来なかったんだよ。出来るわけないじゃないか。だってこんなにも好きなんだもの。嬉しかったんだ。とても。ああ恥ずかしい恥ずかしい。私は弱い人間だ。いつかあの人の前で笑顔で立つことができるのだろうか。怖い顔してごめんね。好きって何なんだろうね。

 

 

 

 

 

2019.8.23 広島文化学園HBGホール

あれから約一年、コウイチはベッドで寝たきりの姿に(ピッ) ・・・ではなく、私は団扇を作るようになった。かねてより手作り団扇の存在を「公式に課金していないのにファンサが貰えるなんて不思議な話だ」と思っていたので、とりあえず作ってみた。自分も作れば何か分かるかもしれないと思った。内容はシンプルにお名前団扇。作った感想としては、なかなか大変に時間のかかる作業で「そんな大変な作業をこなすくらい好きになってくれてありがとう」というのとなのかな?ということで私の中で決着がついた。この決着は自分で納得がいっているので反論等は不要。そんなわけで「公式への課金表明+手作りする時間を厭わないくらいあなたのことが好きです」という折衷案(?)のもと、Going with Zephyr のお供は公式団扇に手作り文字を直貼りすることにした。私は団扇を手作りするようになったし、塚ちゃんは去年までのアレは何だったんだってくらいパフォーマンスが安定するようになった。いつ見ても同じクオリティ。従って今年はいわゆる神回が存在しない。少し寂しい気もするが、ああ塚ちゃんはまたいつの間にかアップデートしていたのかと嬉しくなってしまう。塚ちゃんは凄いなぁ。いつも無意識下に物凄い期待をかけてしまっているのに、いつだって私の期待の遥か上をピョーンと飛び越える。私自身は何一つ成長していないのに。勝手だな。勝手だね。

 

はじめての広島。A.B.C-Zがこの土地に私を連れてきてくれたんだなと思うと嬉しくてムズムズする。なんかいいな、ツアーって楽しいな。初めて広島の地を踏むこの足は羽が生えたように軽い。

なんの曲か忘れてしまったが、近くに塚ちゃんが来た。凄い、凄いよ、本物だよ。本物の塚ちゃんなんてそろそろ物珍しくもない現場数なはずなのに、何度見てもああ本物だと感激する。可愛いね、格好良いね、素敵だね、笑顔だね、元気だね、眩しいね、綺麗だね、楽しいね、エトセトラ、エトセトラ。どんなに遠くにいても割とずっと見てるんだけど、たくさんたくさん近くにいる塚ちゃんを見た。折衷案の改造公式団扇を左手に、黄色く点灯させたペンライトを右手に持って。

私は笑えているかな、正しくリズムを刻めているかな、振りコピちゃんと出来てるかな、気持ち悪くないかな、いやオタクなんてみんな気持ち悪いから、せめて楽しそうなお客さんに見えるかな・・・突如膨大な自意識が私を襲う。約1年前、大阪で反省したことを思い出す。うん、大丈夫、出来てるよ。去年の私よりずっとちゃんとお客さん出来てる。楽しんでるってきっと思ってもらえるような顔が出来てる。ああよかった。雑念は凄いけど、去年より少しだけ進歩した。

 

塚ちゃんがお立ち台から降りる。もう行ってしまうのか。長かったような、一瞬だったような、とても不思議な時間だったな。楽しかったよ、来てくれてありがとう。お立ち台から降りて私がいるブロックの前を通ろうと一歩踏み出したと思ったら、塚ちゃんは一瞬止まってピョコっと身体を傾けてこちら側を覗き込んでくれた。えっ、今、の、私・・・宛て?で、す、よね?えっ?えっ?えっ???見っ・・・

 

?????????!?!?

 

頭の中が「?」と「!」でいっぱいになった。今のは、幻?勘違い?え、勘違いだったらすごく恥ずかしいな。いや、でも、こっち見て、ピョコって・・・え??????

混乱していたら近くの通路をはっしーが通ったので一旦思考停止することにした。まずはこの瞬間を楽しもう、さっきのことは帰りの新幹線でゆっくり考えよう。

 

終演後、駅へ向かいながら「最高だったねーーーーーー!」と同行の友人と余韻を楽しむ。雨上がりの8月の夜、生温い風が私たちを包む。身体は火照っているが何だか気持ちいい。「限りのある世界だからこそ日常が特別なものになる」ってこういうことなのかな。最高だった。ねぇ、最高だったね。大通り、信号をふたつ渡ったあたりで友人が言った。

 

「塚ちゃんさぁ、お立ち台に来た時、最後にぽんたちゃんのこと見たよね?」

 

アアアアアァァァァァァ

 

「やっぱり?やっぱりそうだよね?あれ私へのファンサだよね?いや、そうなんじゃないかと思ってたんだけど!友人ちゃんその時なにも言わなかったから!私の勘違いなのかな?って、なんかグルグルしてた!ァァァァァァァ」(ここまで一息)

 

隣り合った二人の人間が同時にそう思ったのなら確定ではなかろうか。

・おや?って思ったけどぽんたちゃん特に反応してなかったから違うのかな?って思ってた (まさかの以心伝心相思相愛)

・そうでしょ、周り他に塚田担いなかったし (ワロタァ)

だそうですーーーーーーーーーー

 

これまで観察して得た個人の考えなのだが、塚ちゃんからファンサを貰うには塚田担をアピールするよりも「◯◯して」みたいな具体的な指定の方が貰いやすいのではないかという仮説がある。しかし私は例えファンサを貰えなくても塚田団扇を持ちたかった。ファンサを貰う確率を上げるために工夫するより、シンプルに塚田担として向き合いたかった。そりゃあ貰えないより貰えた方が嬉しいに決まっているけれど、何かをして欲しいというよりは元気な姿を見せてくれればそれだけでじゅうぶんだと本気で思っているので「塚ちゃんのファンはここにもいますよ」ということが先方に伝わればこの上なく大成功であって・・・ああなんかいい子ちゃんぶりっ子ちゃんみたいな言葉しか出てこないな。違うんだ。私の中にはもっと色んな感情がどす黒く渦巻いているのに。頭の中は心の色は誰よりも汚く淀んでいる自信があるのに。なんでか綺麗な言葉しか出てこない。綺麗な言葉しか紡げないのは私の語彙力が足りないからか、言葉にするには塚ちゃんという存在はあまりにも美しすぎるからか、はたまたその両方か。

求めていない。本当なんだ。本当なんだよ。ああそれなのに、足を止めて体をひねってこちら側を見てくれたことがこんなにも嬉しい。なにも望まなかったし今後も多くを望むつもりはない。なにも望まないのも本当だし、ファンサをしてもらえたことが震えるほど嬉しいことも本当。本当なんだ。すべて本当に本当なんだよ。あの瞬間、塚田担として塚ちゃんに向き合えたという事実があればそれだけでじゅうぶん。

 

 

 

 

 

2019.8.27 神戸国際会館

あの時のことは思い出すだけで涙が出てくる。私が神戸国際会館へ行くのも3年目。ステージ上で怪我する瞬間を見ちゃった55コン、落下物をキャッチして書いてあるメッセージを見て号泣したLBT、そして今年。神戸では泣いてばかりいるなぁ。

お席は1階お立ち台寄り通路から2番目。やたら通路横の席を引くと自負しているので惜しいなぁ(ただし私がいる通路には誰も通らない)と思っていたら、Twinkleでお立ち台に上がるために塚ちゃんがやって来た。うわーすぐ横を通るよー凄い凄い!と思っていたら通路側の河合担さんが場所を代わりましょうとジェスチャーで示してくれた。いやそれはさすがに悪いっス!と思ったので結構ですと身振り手振りで伝えるも、どうぞどうぞ!とすすめてくださる。うーーーん、こんなチャンス二度とないかもしれないよなぁ。たまたま通路付近の席で、自担が来て、しかもお隣さんがいい人でどうぞって言ってくれて、こんなに偶然が重なる確率ってそう無いんだから・・・なんてごちゃごちゃ「行くための理由」を探している時点で「あ、私は行きたいんだな」と気づいたのでありがたく交代してもらうことにした。が、真横を通る際に私にお尻(かわいい)を向ける塚ちゃん。隣ブロック同列の人がグイグイ呼ぶ感じで、呼ばれると行っちゃう塚ちゃん。。。ほんと素直な優しい良い子。。。天使。。。す、すっき〜。。。まぁ悔しいと言えば悔しいが、この席はお隣さんに代わってもらったおこぼれ席だし、私もジャニオタ黎明期に横アリで無邪気に塚ちゃんを呼んでファンサを貰ったことがあるので彼女の気持ちもようく分かる。そしてそのまま塚ちゃんは後列へと行ってしまいましたとさ。めでたしめでたし 〜完〜

 

 

 

 

と思うじゃん?

実際思ったよ私も。

 

 

 

 

また自担の逆サイ引きがち芸を極めてしまったか。いい加減己の才能がこわいぜ。と思っていたらよ。真横のグイグイさんにファンサして、更にその後ろの人(私の斜め後ろにあたる席)にファンサしたあと、急にくるっと振り返り2歩ほどこちらへ歩いてきた。行ってしまったと思っていた大好きな人が目の前に戻ってきた。私の目をまっすぐ覗き込んで、ハイタッチどうぞと手のひらをこちらへ向けてくれた。塚ちゃんの不思議なほどに真っ黒な瞳の中には私しかいない。口元はキュッと口角が上がっている。どうぞと出した左手は私の為。わざわざ戻ってきてくれたってことは、進行方向を見てファンサービスしながら「あーあそこにも自分のファンがいる」って気に留めてくれていたということだよね?そんなことってある?いいの?本当に?と思いながらそっと塚ちゃんの左手に自分の右手を合わせた。アクロバットを支えるあの手。ステージ上で、音楽番組の向こう側で、ミュージックビデオの中で、時にコンクリートの上なんかでも自重を支えるあの手が。2年前のあの日、大宮ソニックシティホールでこわくてこわくてフリーズして触ることができなかったあの手。自分の弱さをずっと後悔していたあの手。手と手を合わせた瞬間、塚ちゃんは目を少し細め口角をさらに引き上げ笑ってくれた。手のひらの感触を味わうほどしっかり触ってはいない。覚えているのは私の手より少しあたたかかったということだけ。天使の手に触れたとき、邪悪な心を持つ私はお天使パワーに浄化されてジュワッと消えると思っていた。しかし全くもってそんなことはなかった。普段わたしは塚ちゃんお天使お天使騒いでいるが、あの人は人間だ。人間なんだ。あの人の人生のうちの3秒を貰った。

 

去りゆく背中を見届けたあと、両足の力が抜けてその場に座り込んだ。ポロポロと涙が出てきて止まらない。嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて、本当に本当に嬉しくて、コンサートという世界一幸せな空間の中なのに人目もはばからずわんわん泣いてしまった。スペトラの振りコピを試みるもああこれは無理だと判断して感情を爆発させながら泣き続けた。お立ち台からステージへ帰っても、MCが始まっても、ようやく引いたと思っても塚ちゃんを見てまた涙がこぼれてきてしまう。結局、トゥインクルからブラックシュガーまでほぼほぼぶっ通しで泣いてしまった。それくらい嬉しかった。

いやね、ほんと、その程度でコイツどんだけ喜んでるんだよって話なんだけどさ、その価値を決めるのは私なんだよ。私が嬉しかったということは誰にも曲げられないんだよ。その程度で()ってマウント取ってくる人間は絶対にいるからさ、過去同担に嬉しかった話をしたら「そんなの普通だよ」って言われたことあるからさ、なんで他人に価値を決められなきゃいけないんだろうね。他人に何と言われても私が嬉しかったことは揺るがないのに。嬉しかった。本当に嬉しかったなぁ。

 

もし生まれ変わること 許されたら

また人間になって 僕のこころへ

 

そんなこと思ったこともない。できるだけ早く死にたいしそのあと何者にも生まれ変わる気はないし仮に生まれ変わるなら人間じゃない方がいいしましてや自分なんて絶対に絶対に絶対に嫌だ。そんなんだけど、でももしあの瞬間をまた味わえるとしたら、もう一度自分になるのも悪くないかもしれないと思えた。いや、冷静に、トータル嫌だよ嫌なんだけど、一瞬でも「あ、私、いいかも」と思えた。凄い。凄いよ。これは凄いことだ。

赤の他人に勝手に生きる意味を見出されるなんて迷惑な話だ。少なくとも私は他人からそんな感情を抱かれたくない。怖い。自分に少し触れただけで人目もはばからず泣きわめく人間が存在するってめちゃくちゃ嫌だ。怖い。そもそもなんでそんなに優しくてくれるの?こわくない?オタクなんて頼まれてもいないのに勝手に好きになって勝手に応援してるきもいやつだからシカトしていいよ?ああほんとうに私って気持ち悪いな。めちゃくちゃ号泣している私はおそらくお立ち台に立った塚ちゃんから見えていたであろう。ああ恥ずかしい。恥ずかしい。ごめんなさい。ごめんなさい。広島でなにかを克服したと思っていたのに、またふりだしへ戻ってしまった。

 

 

 

 

2019.9.3 グランキューブ大阪

隙あらば以前ブログに書いた橋本担と連番するので一向に交友関係が広がらない私だが、今年は会ったことない人に会ってみようと思って連番を持ちかけた。その人がイヤァァァァァァホギャァァァって席を当ててくれたのでそれだけでホクホクするわたし。塚ちゃんが近くに来ることは知っていた。だってずっと見ているもの。基本の立ち位置くらい覚えちゃうよ。

案の定、ペンライトコーナーで塚ちゃんがお立ち台にやってきた。知ってるー☆と思いつつもやっぱりドキドキしてしまう。右手のペンライトはライトセーバー、左手の団扇はシールドだ。せっかくはっしーが可愛く可愛く作ってくれたグッズなのに、この環境、両手に武器と防具を持たなければなければやっていけない。

お立ち台から少し内側へ入った席だったが、塚ちゃんはこちらを見てニコッと笑ってペンライトをシャカシャカ振ってくれた。嬉しくて嬉しくて、ジャンプ禁止の会場なのに思わずピョンっと小さく飛び跳ねてしまった。飛び跳ねた瞬間にうわ自分キモ!!!!!!!!と反省したのでこの瞬間のことだけはよく覚えている。なんともったいない脳の使い方。曲が終わり、座席でデロンデロンに溶けながら「ぇへへ…♡」と不気味な笑みを浮かべることしかできない。よかった、わたし、ちゃんとファンできた。ファンサしてもらってちゃんと喜べた。喜ぶ私も相当気持ち悪いよ、気持ち悪いけど、号泣するのと気持ち悪さのベクトルが違うんだよ。はぁよかった、ふつうにきちんとファンできた。距離感や起きた事象のインパクトなど違いはあるけれど、神戸での雪辱を晴らすことができた。

恐ろしいのだが、私はペンライトを振ってもらったことに全く気づいていなかった。いや、記憶が消えていたのかな?好きすぎて好きで好きだから視界がガリガリに削られて塚ちゃんの目しか見ていなかったような気がする。「あっいま目が合ってるー!」というのは分かったが、ペンライトを振ってくれたのは全く記憶にない。終演後に連番してくださった方が教えてくれた。スーパー慈愛センキュー。。。そうだ、勿体無いな。曲は分かるのにどのあたりでファンサしてもらったのか全く分からない。自担が近くに来ると世界から音が消える仕様なんとかしてくれ。ファンサしてもらった瞬間の歌詞が分かれば無理矢理にでも意味づけするのにな。だって私は愚かだから。

塚ちゃんは私に好きになってくれと頼んだことはないし今後頼むこともない。なのにどうしてこんなに好きなんだろう。話しかけることもできず、公式ペンライトをカチカチ操作して自担色に変え、運営が指定する規定に則った団扇を使って愛を伝える。なんなんだこの習慣ナゾすぎる。側から見たら世界一無意味なコミュニケーションかもしれない。その無意味なコミュニケーションにこんなに喜ぶ私ってなんなんだろうな。ああでもうれしい。こんなにうれしい。うれしい気持ちに理屈なんて意義なんて要らない。この好きだという気持ちが何なのかすら未だによく分からないけれど、それでいいんだと思う。

 

去年までほぼほぼ近くに来なかったのに今年はめちゃくちゃ近くに来るんだよな。なんだこれ。日記におこすにあたって省略しちゃったけど他にも目があったり手振ってくれたり、なんだ、なんなんだこれ。歌唱パート終わり0.2秒後にマイク持った手でタッチするためにこちらに近づけてくれたこと、嬉しかったな。

かつて舞浜通い時代にお恥ずかしながらファンサ狂だったことがある。「最前以外で見るとか何の意味があるの?」と本気で思っていたヤベェ時期がある。私はジャニオタになる前から知ってたんだ。ファンサしてもらった瞬間の脳がカァーッとあつくなる何物にも代え難いあの喜び、興奮、楽しさ。知ってたんだよずっと前から。エンタメの性質がそもそも違うから単純に比較は出来ないんだけど、私はやばいおたくになる素質を持っていると思う。とはいえ、思い描いたようなファンサを貰えなかった時に「今日は収穫なかったな」と思うようなあの頃には戻りたくないし、多分戻ることもないだろう。これまで貰ったファンサはめちゃくちゃ嬉しかったし特別な思い出だけれど、「塚ちゃんがそこに存在してくれることがファンサービス」っていう見解は変わっていない。どうして狂わずにいられるのかな。わからないな。難しいな。やっぱり塚ちゃんがお天使だからかな。

 

 

カバンの中に雑に押し込んだ銀テープがカサカサと音を立てる。未来のことなんて誰も分からないから「ずっと応援してる」なんて無責任なことは言わない。でもあの瞬間だけは永遠に本物だし、塚ちゃんが私にとっての塚ちゃんたり得る限り、たぶんずっと好きだなと思った。

 

 

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